薬害エイズ安部判決

 

 

  ―科学的不正を許す科学的に不正な判決である―

改訂要約版

 

 

 2001年4月18日 

    EBMビジランス研究所      所長 

    NPO医薬ビジランスセンター  理事長   浜 六郎

 

 

 

  

【はじめに】

 特定の患者の死亡に関して、医師、科学者としての安部英被告の行為が業務上過失致死に相当するかどうかが問われた刑事裁判で2001年3月28日、安部英被告に対する無罪の判決がでた。

 企業からの資金提供等の問題点は多くのメディアが論じている。そこで、ここでは、私たち医師が日常的に使用している薬剤の危険性が指摘された場合に、科学者の立場としてそのリスクとベネフィットをどう認識し、患者を危険に陥れないようにするために、どのような判断が必要であったかを検証してみたい。

 薬害エイズ全体についてはすでに拙著「薬害はなぜなくならないか」でも詳細に論じている。今回の判決に関する詳細な分析結果は、このホームページ上の「4月3日版」に掲載している。あわせて参照頂きたい。

 判決は「予見可能性の程度は低かった」

 今回の判決では、本件患者が感染した1985年5月頃以前は、「抗体陽性者の「多く」がエイズを発症すると予見しえたとは認められない」、「エイズによる血友病患者の死亡という結果発生の予見可能性はあったが、その程度は低いものであった。」としたが、その根拠となる抗体陽性の科学的な意味について、判決理由の80%を割いて論じている。

 問題は危険/益比を科学的にどうみるか

 この事件で最大の論点は、1983年、1984年、1985年5月までの時点での血友病に対する非加熱製剤使用のリスクとベネフィットをどう判断するかであった。つまり、最終的にエイズを起こすリスクの程度をいかに科学的に判断できたか、非加熱製剤の利益はクリオで代替不可能な程に大きかったとみることができるかどうかである。

【1】非加熱製剤の危険性の認識

〔1〕危険の認識は1983年にすでにあった

 まず、危険性の認識では、安部氏は1981年頃からすでに血友病の国際会議でアメリカ人の血友病患者が「奇病」に罹患していることを知り、安部氏自身の患者の症状もエイズに違いないと思うようになってきた。1982年11月には、アメリカの供血者に重大な病気(つまりエイズ)があるので、血友病の治療に重大な問題が生じていることを患者の前でも発言し、すでに自身の経験や情報から十分に危険性を認識していた。
 ついで、1983年1月に発表されたニューイングランド医学雑誌(New Engl J Med)の論文が重要である。非加熱製剤の危険性に関する明瞭な科学的事実(同じ単位数を使用したどうしで比較して非加熱製剤使用者がクリオ使用者より免疫抑制が強かった)から「クリオにもどるのは面倒だし不便だが、いまや血友病による出血の危険よりも、エイズの危険を重視し、クリオにもどるべきだ」との対策につなげる提言をした論説が掲載された。このデータと論説を安部氏が読んでいないはずはない。
  さらに同年4月頃には帝京大の最初のエイズ患者を日本初のエイズ患者と自ら診断した(その後スピラ博士もエイズと診断)。そうした状態で、同年6月のエイズ研究班第1回会議で「毎日、毒が入っているかも知れないと思いながら(非加熱製剤を)注射しなきゃいけない。明日にでも(エイズ)患者が出るかも知れない」との発言になった。

  したがって、安部氏は1983年6月には血液製剤の危険性をほぼ 100%確信していたと判断できる。

  

【2】代替薬剤の可能性と、危険/益比のバランスの認識

 1)クリオ製造の技術・・・赤十字の製造技術
 2)原料血漿の供給について
 3)クリオとの比較検討
 (以上をまとめて)

 日本人の血液のみから乾燥クリオや非加熱製剤も製造できた

 一方、代替薬剤としては、クリオを使用することは可能であった。液状クリオだけではなく、日本人の血液から乾燥クリオも供給できたため家庭療法も可能であり、さらには、私の試算では、日赤の新鮮凍結人血漿の13%を回せば重症血友病患者の非加熱製剤の供給は十分に可能であった。

 非加熱製剤について、極めて大きな危険性の認識をし、クリオへの転換の必要性も認識していながら、他の医師に対する強い影響力を行使して安全な加熱製剤の早期承認を遅らせ、有害な薬剤を使用継続し続けたのである。

【3】危険を示す科学的証拠(エビデンス)の詳細

〔1〕1983年1月の免疫抑制を示す比較データ

 今すこし、危険性を示すエビデンスについて詳細にみておこう。厳密な比較試験や性年齢をマッチさせた症例対照研究や前向きのランダム化比較試験はなかったが、貴重なエビデンスが早期から提示されている。

 1983年1月のニューイングランド医学雑誌の研究では、非加熱製剤とクリオの使用量を、体重あたりの使用単位数を合わせてT4/T8比(これが低下するとエイズの前兆である免疫抑制状態にあることを示す)を求め、クリオ群では正常者と比較して低下していなかったが、非加熱製剤使用者は有意な低下を認めた。これが、「クリオにもどるべき」との提言に結びついた。

〔2〕原因の特定は後でよい・・まず毒の排除が大切

 このようなデータを認めていながら、なお非加熱製剤の使用を患者に進めるのがいかに危険であるのか、以下の例と比較してみて欲しい。

 あるA井戸の水を飲んだ人が次々に死ぬ病気の兆候が現れている。しかし、100 m 先のB井戸の水を飲んだ人には、全くその徴候は現れていないとする。このような場合でも、A井戸の水の中の病気の原因が菌かウイルスか、毒かなど詳細が判るまで、水を飲むなと言わないのであろうか。水は不可欠だし、100 m 先の井戸の水をもらってくるのはたいへんだから、飲めば死ぬ病気の兆候が次々に陽性になっているのに、A井戸の近くの人には、その水が便利だから飲んだ方がよいと言うのであろうか。

  井戸水と病気との関連(その兆候との関連)が疫学的に証明できれば、原因菌は特定できなくても、水源をAからBに変えることでとりあえず、危険を回避することはできる。菌や毒物の特定は後からでよい。それが危険を回避するために不可欠のことである。
  そのような単純な明快な考え方に基づいて、ニューイングランド誌のエディトリアルは提言をしたのである。

〔3〕1984年5〜7月の抗体検査
   ・・・抗体陽性の意味は明瞭・・・

 上記論文だけでも危険の認識は十分なのであるが、判決ではこの論文については全く触れていない。そして、もっぱら1984年5月以降のエイズウイルスやエイズ抗体検査による危険の予見可能性について論じている(この議論で判決理由の80%を占める)。そこで、これらについても検討しておこう。

 1984年5月のGallo ら、6月と7月の Montagnier らの研究は一種の観察研究ではあるが、厳密なマッチングなどが不要なほどに明瞭な結果であった。

 Gallo らのデータでは、健康人 186人中1人 (0.5 %) に対して、エイズ患者は49人中43人(88 %) が抗体陽性であった。これは、抗体陽性が持続した人は、抗体が陰性である人に比較して、1300倍エイズになる危険が高いことを示し、抗体陽性者はエイズになるといって間違う可能性は、万に一つどころか、兆に一つもないということを意味しているのである(p= 2.5 ×10(E-39))。ちなみに、症状を発症していない男性同性愛者では17人中6人(35%)が陽性であり、一般健康人とエイズ患者の中間的な値であった。

 同年7月の Montagnier らのデータでは、健康人 259人中0人に対して、エイズ患者は 125人中 51 人(41 %)が抗体陽性であり (p= 1.5×10(E-27))、プレエイズでは 113人中81人(72%) が抗体陽性であった(p<10(E-99)) 。抗体陽性とエイズ罹患との関連の意味は明らかである。

〔4〕感染防御抗体なら健康人に陽性者が多数いるはず

   GalloやMontagnierらが報告した抗体がもしも感染防御抗体ならば、エイズになっていない人の相当数がこの抗体を保有していなければならない。しかし、エイズになっていない人のほとんどすべてがこの抗体もウイルスも有していなかった。この事実は重い。

〔5〕明らかな事実誤認

 しかし、今回の判決では、Gallo やMontagnierらを何度も引用しながら、彼らの論文に出てくる抗体検査の意義の解釈に基本的に重要なこの事実(エイズになっていない人のほとんどすべてがこの抗体もウイルスも保有していなかったこと)について、全く記載していない(男性同性愛者でエイズになっていない人に抗体陽性者がいることを示しているが、これとの比較だけでは意味がない)。
 他にも、抗体検査の意義の解釈に関して、今回の判決が踏まえていない科学的に基本的に重要な事項はいくつもあるが、これは中でも際立つ重要な点である。

〔6〕論説でも抗体陽性の重要性が強調されている

 この点について、Gallo らが報告した1984年5月4日のサイエンス誌のエディトリアルでも「完成したエイズ患者の約1/3、エイズの初期を示す症状のある患者の90%近くにエイズウイルスそのものが検出された。またHTLV−Vに対する抗体がエイズ患者の90%から100 %で検出された。これは、抗体陽性者はエイズの病原体に感染していることを示す知見である。」とするGallo らの見解を紹介している。

 そして、多数の血友病患者が、エイズの危険にさらされており、ウイルスに汚染されている血液を検出するための検査に対する膨大な需要が起き、すべての献血血液の検査が必要になるだろうという点をeditorial では指摘をしている。

〔7〕血友病患者でも抗体陽性者多数報告

 ・・・Montagnierらは非加熱濃縮製剤の危険を警告・・・

 1984年7月7日のランセット誌にMontagnierらは、血友病患者にエイズ抗体陽性者が多い(ELISA 法で 14/22=64%)ことを指摘し、「この抗体が感染防御作用を持っていないことは明瞭である。」「血友病患者の治療にあたる臨床医は、非加熱濃縮第・因子製剤を未使用血友病患者には、代替薬剤の使用を考慮すべきである。スクリーニングテストやエイズ病原体を不活化するが広く利用可能になるまでは、非加熱濃縮製剤は病原体に汚染されていると考えるべきである。」と、血液製剤の危険性を警告している

  さらに別のデータでは抗体陽性者16人のうら6年以内に半数の8人がエイズもしくはプレエイズになった(仮に陰性者 200人で発症するものがいないとして計算するとP= 4×10(E-8))。判決ではこのデータをもってしても、抗体陽性者がエイズに罹患する率は高いと言えないとしている。まったく不可解な判断である。

【4】大多数の血友病専門医と、安部氏(略)

【5】危険評価の基本的データを見ない
    ・・・科学的不正かつ危険な判決である・・・

 エイズ抗体が陽性であることの意味を解釈するために基本的に必要なデータを見ず、また見ていても全く科学的に誤った解釈をしている。

 このような科学的不正を容認する判決は、科学的不正に手を貸すこと、つまり司法自らが科学的不正を犯すことを意味している。このようなことが許されるならば、他の日常においても、科学的不正は容認されることになり、科学者の態度はますます安全無視につながるであろう。その意味で、極めて危険な判決である。

【6】今後に向けて

 上級審においては、安全性重視の観点に立った事実関係の見直しを行い、慎重な審議を求めるものである。

  もしもこの明瞭な科学的不正をも現行法では裁くことができず、司法自らが科学的不正を犯し続けるならば、私たちは、それを裁くための「新たな法」の制定を求めるか、あるいは新たな手段を考案する必要があるといえよう。

 

 

 

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