安部氏の刑事事件判決

 

 

 

 ―科学的不正を許す判決理由を批判する―

 

 

 

2001年4月3日 

    EBMビジランス研究所      所長 

    NPO医薬ビジランスセンター  理事長   浜 六郎

 

 

 

 

【まとめ】

 

 2001年3月28日、安部英被告に対する無罪の判決がでた。今回の事件では、特定の患者の死亡に関して、安部氏の医師、科学者としての行為が業務上過失致死に相当するかどうかが問われたものである。

 結論から言えば、安部被告に、責任ある立場にいた科学者として、責任があることは明瞭である。1983年1月までに、安部氏は自分の経験からも十分に危険性を認識していたし、非加熱製剤の危険性に関する明瞭な科学的事実が判明し、有効な代替療法が存在した。それらを無視し、他の医師に対する強い影響力を行使して安全な加熱製剤の早期承認を遅らせ、有害な薬剤を使用継続し続けたからである。

 科学的事実は事実、責任ある立場の科学者としての責任は責任として認識し、そのうえで、不本意ながら刑法上の限界として本件患者への直接的な医療行為はなかったことなどから、最低限の有罪と、高齢であることなどから情状して、執行猶予という可能性はありうるかも知れないと、私自身は思っていた。 

 

 しかし、今回の判決では、科学的事実に関して、単に後智慧ではなく、当時の知識のレベルとしてもすでに一般常識となっている事実に至るまで、事実誤認に基づいて検察の主張をことごとく否定した結果としての無罪という点で、薬害の歴史にまた一つ汚れたページを残すことになった。

 このような科学的不正を容認する判決は、科学的不正に手を貸すこと、つまり司法自らが科学的不正を犯すことを意味している。このようなことが許されるならば、他の日常においても、科学的不正は容認されることになり、科学者の態度はますます安全無視につながるであろう。その意味で、極めて危険な判決である。

 上級審においては、安全性重視の観点に立った事実関係の見直しを行い、慎重な審議を求めるものである。

 もしも、この明瞭な科学的不正をも現行法では裁くことができず、司法自らが科学的不正を犯し続けるならば、われわれは、それを裁くための「新たな法」の制定を求めるか、あるいは新たな手段を考案する必要があるといえよう。

 

【1】非加熱製剤の危険性の認識

 

 判決では、エイズ抗体陽性の意味づけについて延々と議論を展開し、本件患者が感染した時期以前は、エイズ抗体が陽性であることがエイズウイルスに持続感染しエイズになる危険性が高いとの認識はなかった、としている。しかし、本来、非加熱製剤を使用することの危険性を認識するためであれば、抗体陽性の意味づけをこのように議論する必要性は全くない。

 

 1982年のMMWRですでにエイズ患者が献血することの危険性の可能性を十分に指摘しており、1982年の11月には、非加熱製剤の供血者が重大な病気(エイズ)に侵されているために、非加熱製剤を使った血友病の治療は危険であることを、安部被告自らが認識した発言をし、その危険性を相当確信していた。

 

 そして、1983年1月に、後述するニュ−イングランド医学雑誌の論文と論説で、大プール血漿で製造した非加熱製剤が、小プールによるクリオ製剤より、はるかにエイズの危険が高いことが示された。

 

 さらには同じ年の7月には、帝京大の最初のエイズ患者が死亡し、これを日本初のエイズ患者と診断し、さらにその直後にスピラ博士もこの患者をエイズと診断した。こうして1983年7月〜8月には血液製剤の危険性をほぼ 100%確信したと言える。

 だからこそ、1983年6月のエイズ研究班第1回会議で「毎日、毒が入っているかも知れないと思いながら(非加熱製剤を)注射しなきゃいけない。明日にでも(エイズ)患者が出るかも知れない」という発言になったのである。

 

【2】抗体検査陽性者が多数エイズになるまで対策は取れないか・・・否

 

 判決では、抗体陽性の意味について延々と議論を展開し、1)抗体保有者が感染性ウイルス保有者かどうか不明であり、2)ウイルスの現保有者が将来にわたり保有し続けるか不明、3)抗体検査陽性者から多数のエイズ患者が出るとは言えない、4)男性同性愛者の抗体陽性者がエイズの危険が高いからといって血友病患者でもそのまま該当するかどうか不明などとして、1985年5月頃に、本件の血友病患者がエイズ関連抗体陽性であることが判明していたとして、エイズの危険を指摘できなかったとした。

 この議論は、科学的に全く不適切であり、誤りである。

 

 第一に、エイズウイルスや抗体検査が発見される前の1983年1月には、エイズ発症につながる免疫抑制状態の危険性を示す検査としてT4/T8比が存在し、非加熱製剤の使用とT4/T8比低下との明瞭な関連が New England Journal of Medicine誌に掲載され、論説では危険回避対策につながる明快な提案がすでになされていた。この重要な点を判決では全く無視している。

  この研究では、体重あたり同じ量のクリオと非加熱製剤を使用した人を比較して、クリオだけの人はT4/T8の比が下がらず、非加熱製剤人は低下していたのである。T4/T8の比の低下が免疫に関係したリンパ球の機能の低下を示し、この低下がエイズにつながる危険な兆候であるとの認識は明瞭であった。このことから、「クリオにもどるのは面倒だし不便だが、いまや血友病による出血の危険よりも、エイズの危険を重視し、クリオにもどるべきだ」として、対策につなげる提言がなされている。これこそが、医学的に適切な判断であった。

 判決では、エイズ抗体について延々と議論しているが、この重要な論文についてまったく言及していないのは、科学的な事実を無理に無視していると言える。

  ある井戸水を飲んだ人が次々に死ぬ病気の兆候が現れているのに、井戸水中の病気の原因が菌かウイルスか、毒かなど詳細が判るまで、水を飲むなと言わないのであろうか。水は不可欠だし、100 m 先の井戸の水をもらってくるのはたいへんだから、飲めば死ぬ病気の兆候が陽性になるのに、その水を飲んだ方がよいと言うのであろうか。

  井戸水と病気との関連(その兆候との関連)が疫学的に証明できれば、原因菌は特定できなくても、水源を変えることでとりあえず、危険を回避することはできる。菌や毒物の特定は後からでよい。それが危険を回避するために不可欠のことである。

 

 エイズが発症していなくても、T4/T8比の低下はエイズ発症の危険を示すよい指標であった。これは、非A非B型肝炎のウイルスが判明していなくても、その病原体に感染していることを示すよい指標としてGOT や GPTを使うことができ、非A非B型慢性肝炎患者が肝硬変や肝癌発症の危険が大きいと判明していたことと同じである。 

 同様に、エイズウイルスそのものの特定や、エイズ抗体が感染防御抗体でないという以上のことを知らなくても、非加熱製剤使用とエイズの兆候であるT4/T8の比の低下との関連が明瞭になっていたのであるから、非加熱製剤のエイズの危険が極めて大きい可能性が大で、これを回避して代替品の非加熱製剤に切り換えるべきであった。

 

  第二に、エイズウイルスに対する抗体陽性者がエイズウイルスの持続感染者でありエイズ発症の危険が高いことは、1984年5月〜1984年10月には明瞭に示されていた。

 

  @Gallo らが報告した1984年5月4日のサイエンス誌において、エイズウイルス(当初のHTLV−V)は正常人(非同性愛者 115人) ではまったく検出されなかったが、エイズ患者の35% (26/72)や、プレエイズ患者の85%(18/21)で検出され、症状のない男性同性愛者では5%(1/22)で陽性であった。

 HTLV−Vがエイズと関連ありと考えて間違う危険率は1 億分の1 未満(1.5×10(E-11))である。またHTLV−Vがプレエイズと関連ありと考えて間違う確率はさらにそれよりも1000万分の1(2.0 ×10(E-18))である。

 

  A同誌において、HTLV−Vに対する抗体はエイズ患者の大部分(43/49 =88%)が陽性であり、プレエイズ患者でも大多数(11/14 =79%)が陽性であった。症状を発症していない男性同性愛者では半数以下(6/17) が陽性であり、一般健康人や他の病気の患者では陽性者は1%以下(1/186 =0.5 %)であった。

 HTLV−V抗体がエイズと関連ありと考えて間違う危険率は1 兆分の1 の1兆分の1のさらに1兆分の1未満(2.5×10(E-39))である。またHTLV−Vがプレエイズと関連ありと考えて間違う確率は約 100兆分の1 (1.1×10(E-14))である。

  さらに鋭敏な検査を使用すると、エイズ患者でも、プレエイズ患者でも100 %が抗体陽性となり、正常人ではまったく検出できなかったことを、1984年5月4日のサイエンス誌ですでに、Gallo らのグループが報告している。

 

  Montagnierらのグループの研究(1984年6月9日号ランセット誌、1984年7月20日号サイエンス誌)でもほぼ同様な結果が示されている:1984年7月20日号サイエンス誌発表のデータでは、LAV抗体(Montagnierらの開発したエイズ抗体)は、エイズ患者41%(51/125) 、LAS患者(プレエイズ患者)72%(81/11)、男性同性愛者(1978年では1%=1/100 、1980年には24%=12/50)、献血者0%(0/189)、検査室(研究所)職員0% (0/70) であった。

 これによっても、いずれも抗体がエイズと関連ありと考えて間違う危険率は1 兆分の1のさらに 100兆分の1未満(1.5×10(E-27))である。またHTLV−Vがプレエイズと関連ありと考えて間違う確率は 1兆分の1 を8回繰り返してもまだそれよりも確率が低い、つまり間違うおそれはゼロに限りなく近いということを意味している。

  また、1984年10月26日サイエンス誌で、Montagnierらは、ザイールの住人を対象としたRIPA法によるLAV抗体検査結果を発表している。これによると、エイズ患者は95%(35/37)がLAV抗体陽性、エイズを発症していない人の中でT4/T8比が 0.7超の人では、陽性者は6%(1/18) しかいなかったが、T4/T8比が 0.7未満の人では63%(5/8)が陽性であった。  

 この場合はT4/T8比が 0.7超の人に比較して抗体陽性の意味を考える必要があるが、この場合でも抗体陽性とエイズとの関連は強固である。間違う確率は1000億分の1未満(4.7×10(E-11))である。

 

 さらに、上記@とAを合わせて考えると、エイズウイルス検出者でエイズ抗体陽性者が多数いることを示しており,このことは、1)エイズ抗体保有者は、感染性エイズウイルスの保有者であること、しかも、エイズになるまでの期間存在し続けてきたことを示しており、したがって、2)ウイルスの現保有者が将来にもわたり保有し続けると考えるべきことを示している。

 

  Bこの抗体が感染防御抗体であれば、エイズになっていない人の相当数がこの抗体を保有していなければならないが、エイズになっていない人のほとんどすべてがこの抗体もウイルスも有していなかった。

 今回の判決では、Gallo やMontagnierらを何度も引用しながら、彼らの論文に出てくる抗体検査の意義の解釈に基本的に重要なこの事実(エイズになっていない人のほとんどすべてがこの抗体もウイルスも保有していなかったこと)について、全く記載していない。他にも、抗体検査の意義の解釈に関して、今回の判決が踏まえていない科学的に基本的に重要な事項はいくつもあるが、この点は、その中でも際立って重要な点である。

              

  上記の@〜Aを合わせて考えると、この抗体が感染防御抗体(中和抗体)ではなく、ウイルス感染状態であること、感染が持続すること、その感染持続によりエイズ発症につながることを明瞭に示している。

 

 この点について、Gallo らが報告した1984年5月4日のサイエンス誌のエディトリアル(論説)でも「完成したエイズ患者の約1/3、エイズの初期を示す症状のある患者の90%近くにエイズウイルスそのものが検出された。またHTLV−Vに対する抗体がエイズ患者の90%から100 %で検出された。これは、抗体陽性者はエイズの病原体に感染していることを示す知見である。 "Antibodies to  HTLV-V have been found in 90 to 100 percent of AIDS patients,  a finding that indicates that they have been infected with the agent." 」とするGallo らの見解を紹介している。

 そして、多数の血友病患者が、エイズの危険にさらされており、このエイズ病原体の発見は極めて重要な意味をもつものであると指摘し、少なくとも、ウイルスに汚染されている血液を検出するための検査を開発することにつながること、抗体検査に対する膨大な需要が起きるであろうという点、血液銀行では、実際上、すべての献血血液の検査が必要になってくるであろうなどといった点について、editorial では指摘をしている。

  

  Gallo ら(1984年9月29日サイエンス誌 p711 〜) は、男性同性愛者を対象にHTLV−V抗体検査を実施した研究で、HTLV−V抗体陽性であることは、エイズに関連した臨床的病態(全身リンパ節腫脹症、エイズ前状態、完成エイズなど)の重要な危険因子であることが示されたとしている。また、HTLV−V抗体が陽性であることが、エイズの免疫学的検査上の特徴(the silent immunological characteristic)であるヘルパーT細胞低値とも関連を認めたとしている。しかも、HTLV−V抗体陽性率は、エイズの危険因子として重要な、男性同性愛者における性交渉相手の数や、肛門性交を受ける回数とも関連を認めた。そして、「生物学的には、ヘルパー/インデューサーTリンパ球への親和性や細胞障害性から、HTLV−Vはエイズの病原体と考えられる。またウイルスが多くのエイズ患者から分離され、HTLV−V抗体がエイズ患者の実質的に全員から検出され、エイズのリスクの高い患者の多くから検出されるが、エイズの危険の小さい対照群からは検出されない」ことと関連づけて考察している。

 

  1984年7月7日のランセット誌にMontagnierらは、血友病患者にエイズ抗体(LAV抗体)陽性者が多い(ELISA 法で 14/22=64%)ことを指摘したが、この中で著者らは、「LAVに対する抗体を有していることでエイズの危険が高まるかどうかは明瞭ではないが、大部分のエイズ患者が抗体を保有しているということは、この抗体が感染防御作用を持っていないことは明瞭である。」としている。「LAVに対する抗体を有していることでエイズの危険が高まるかどうかは明瞭ではないが」の部分は、研究者の遠慮から出た控えめな表現であり、著者らが強調したい本意は、「この抗体が感染防御作用を持っていないことは明瞭である。」という後半の部分にあったことは明らかである。

 なぜならば、「血友病患者の治療にあたる臨床医は非加熱濃縮第[因子製剤(ここで記載されているcryoprecipitate は第[因子を含む製剤の意味であり、そのconcentrate=濃縮製剤、つまり非加熱濃縮第[因子製剤を指す) を未使用血友病患者には、代替薬剤の使用を考慮すべきである。−−。スクリーニングテストやエイズ病原体を不活化するが広く利用可能になるまでは、非加熱濃縮製剤は病原体に汚染されていると考えるべきである。」と、血液製剤の危険性を警告しているからである。

 エイズ関連抗体の意味づけにおける最も重要な、これらの点について、判決では全く触れていない。

 

 Gallo らは男性同性愛者におけるエイズ抗体検査の報告で、抗体陽性者のエイズ発症の危険率は1年間7%、プレエイズは13.1%としている。これを合計するとエイズ抗体陽性者の20%が1年以内にエイズまたはプレエイズになることを示しており、しかもその大部分が、抗体陽性になってからわずか1週間〜21カ月以内にエイズになっているのである。2年間で36%、3年間では約50%となる。非A非B型肝炎から肝硬変や肝癌への進展に比較して、その比率も速さの点でも比較にならないくらい高率かつ速いと言える。

 さらに判決の中(5.3.4.4)で、1984年11月に開催された第4回血友病シンポジウムにおいて「HTLV−V抗体陽性であることは、その結果としてエイズが起こるのでしょうか。それとも、抗体陽性はエイズに対する防御にもなりうるのでしょうか。」との質問に対するエバット博士の答えを引用している。エバット氏は『「その質問に対してわれわれが有している唯一の証拠は次のとおりです。われわれは数多くの患者が抗体陽性であり,それらの患者の多くからウイルスを分離培養できることを知っています。このことは他のウイルス感染症と比較した場合、やや異例のことです。したがって、抗体とウイルス血症が共存し得るのです。 −−−カリフォルニア州の男性同性愛者の集団に関する研究により、これらの患者のうち、相当の割合の者がエイズを発症したという証拠が得られました。1978年に抗体陽転した16名の患者のうら、4名がその後エイズを発症しました。6年間におけるエイズの発症率は、25%でした。またこれに加えて4ないし5名がリンパ節腫脹症を呈しており、これは明らかに、エイズの発症を示唆する基礎症候を有していることを示しています。」などと答えた。』としている。

 つまり、少なくとも6年以内に1/4がエイズになり、半数がプレエイズ状態であるリンパ節腫脹症を呈するとしているのである。

 判決ではこのデータをもってしても、3)抗体陽性者がエイズにかかる率は高いものとは評価できないとしているが、この数字からどうして、高い比率であると言えないのであろうか。まったく不可解な判断である。

 

 また、判決のように、4)「男性同性愛者の抗体陽性者がエイズの危険が高いからといって血友病患者でもそのまま該当するかどうか不明」とか、人種が異なるから日本人に当てはまるかどうか不明など、と言うに至っては、安全性を確保するための基本的な要件無視も甚だしい。一時代も二時代も前の考え方そのままを引きずった考え方であり、21世紀の時代になってもこのような時代の遺物のような考え方を司法がとるとは全く信じがたいことである。

 

 第三に、そもそも、感染物質がウイルスかどうか未確認であっても、原料血漿の供血者中に感染者が一人でもいる大プール血漿ならば、その感染物質に感染することは、1970年代から判明していた。たとえば、非A非B型肝炎は、ウイルスが同定される前からまず確実にウイルスと思われ、感染性があること、大プール血漿を原料とした血液製剤は肝炎を感染させる危険性が強く、小プール血漿で作ったクリオがはるかに安全であることが、1970年代(つまり20数年前)から判明していた。加熱製剤は、その非A非B型肝炎を予防するために開発が進められていたものである。

 したがってエイズに関しても同様であり、エイズウイルスやエイズの抗体が判明していなくても、エイズ発症者や予備群のエイズ感染物質に持続感染状態にある人の血液を原料として作られた血液製剤が感染源になることは容易に予想できた。したがって、小プール血漿を原料としたクリオでは感染の危険が少なく、大プール血漿を原料とした非加熱製剤は危険であることは、容易に認識できた。この危険性を一番よく知っていたのは安部氏であった。

 

【3】代替薬剤として「クリオが利用できなかった」との主張について

    

 1)クリオ製造の技術・・・赤十字の製造技術

 1983年1月にニューイングランド医学雑誌が「クリオにもどるべきだ」とした時、日本でもクリオにもどることはできたし、もどることによって、エイズ感染は防止できたのである。クリオは製造も使用も可能であった。

 赤十字血液センター徳永氏自身が「1万本の何百倍も供給可能であり、これができないようでは血液事業はやっておられない。」とまで言っている。

 

 2)原料血漿の供給について

 判決では、「当時FFP製造用の血漿をクリオ製造に回すことが可能か疑わしい」としているが、過剰のFFPを回せば充分に製造できた。FFPをそのままの形でこれほど多用している国は日本しかなかった。

 私の試算では、60万本の血漿があればすべての人にクリオを供給することができたが、これは、1983年に供給された血漿製剤の13%でしかない(「薬害はなぜなくならないか」日本評論社1996年) 。これを回すことができないなど、有り得ない話である。

 判決では、FFPの供給が困難であった原因として、FFPの需要が著しく増加し、各方面から使用を抑制すべきとの指摘がなされていながらも、それが実現できず、医療機関に節約を懇請することから始めなければならないのが現実であったからとしているが、現実はそのようなことは一切なく、むしろ私たちはTIP誌や輸血学会などを通じては、FFPの供給をもっと減らすように働きかけていた。

 また、輸血学会においても、FFPの使用を減らすべきであることがたびたび話題になっていた。

 

 このように、事実認定が根本的に間違っている。

 

 3)クリオとの比較検討

 クリオなら極めて安全だし、日本の体制でクリオにもどることは不可能ではなかった。これを考えると、安部氏は非加熱製剤の使用を継続し、加熱製剤の臨床試験の時期を調整して遅らせ、使い続けることを促進した人であるから、当然責任がある。

 

【4】大多数の血友病専門医と、安部氏

 

 帝京大のエイズ第一例患者は、本来日本でのエイズ第一例患者であった。ところが、この血友病でエイズの患者が日本のエイズ患者第一例として認定されなかったのである。その背景には、種々の圧力があったと考えられる。安部氏の力をもってしても、その認定を強行することができなかったということは、安部氏の上にさらに優位に立つ

人達がいたとことを意味する。

 それは厚生省であり、製薬企業であり、医学界の大ボスであったといえよう。そして、彼らの意図の範囲内であれば、安部氏は、多くの血友病専門医の間では絶対的に優位に立っていた。

 

  その点を充分に利用して、危険な製剤を使用し続け、加熱製剤の臨床試験の時期を調整し、部下に非加熱製剤を使うように指導した。

 

【5】科学的不正を許す危険な判決である

 

 本件のように、明瞭な科学的不正という過失のある事件が、その不正と考えられる点をすべて否定された形で無罪になるようなら、「科学的不正の罪は問われない」という風潮が広がり、氷山の下に隠れた他の多くの薬害や、科学的評価の誤りなど不正の責任は追求しようがなく、今後も、日本から一切薬害はなくならないであろう危険性を危惧する。

 

 薬害を引き起こすことにつながる科学者の不正に対して、指導者としての科学者個人の責任が問えるのは、現行の法体系の中では現実的には刑事裁判しかない(民事事件ではすでに国と製薬企業との間に損害賠償に関する和解が成立している。また、民事事件では、証拠収集可能性等の点から、指導者としての科学者個人の科学的不正を問うことは極めて困難である)。 その刑事事件でさえ罪が問われないとなれば、薬害を起こした科学者の責任、行政の責任を明らかにする方法をどこに求めればよいのであろうか。

 責任の問い方として、根本的に考え直さなければならないと思う。

 

【6】今後に向けて

 

 サリドマイド、スモン、クロロキン、コラルジル、最近のソリブジン事件もそうだが、医師がごくふつうの科学的な見識をもってすれば未然に防ぎ、被害を最小限に止めることができていたものばかりである。

 薬害問題や、薬の評価を研究してきたものとして、最も重視したいことは、日常的に行われている科学的不正がもっともっと世の中に出され、問題にされる必要があるという点である。つまり、この事件は、多くの薬害事件、薬剤評価の不正、治療ガイドラインづくりの不正、医療過誤裁判における不正な鑑定など,日常的な科学的不正の氷山のほんの一角にしか過ぎない。

 

 今回のような科学的不正を容認する判決、すなわち、司法自らが科学的不正を犯すことを許しておけば、他の日常的な事件においても、科学的不正を容認することにつながり、科学者の態度はますます安全無視、患者無視につながるであろう。

 新薬の評価の科学的不正、治療ガイドライン作りにおける科学的不正、それに日常診療の医療過誤裁判における学者のあまりにも医学、科学を無視した不公正な鑑定意見など、このような科学的な不正が野放しになる可能性を恐れるものである。

 

 上級審においても科学的不正を裁くことができず、司法自らが科学的不正を犯し続けるならば、われわれは、それを裁くための「新たな法」の制定を求めるか、あるいは新たな手段を考案する必要が出てくる。

 上級審においては、安全性重視の観点に立った事実関係の見直しを行い、慎重な審議を求めたい。

 

 

 

 

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