(2006.03.28号)

『薬のチェックは命のチェック』インターネット速報版No65

TGN1412事件は不可避だったか?

臨床試験で6人全員がICUに入院
毒性情報の見逃し? 臨床試験は再考を要する

薬のチェック(NPO法人医薬ビジランスセンター)  浜  六郎

英国で3月13日、臨床試験の安全性、研究対象者の保護を考えるうえで極めて深刻な事件が発生しました[1,2]。日本ではほとんど報道されていませんが、英国をはじめヨーロッパでは連日大きく報道されており、事態の深刻さがうかがわれます。

(詳しくは、医療関係者向けに書いたTIP誌3月号の記事を参照ください。なお[数字]はTIP誌で引用した参考文献の番号です)

6人全員が意識不明で人工呼吸器

問題の臨床試験は、PAREXELという米国の臨床試験実施請負会社(CRO)によって、ロンドンにあるNorthwick Park Hospitalで実施され、ヒトでは全く初めてのTG1412という物質を用いた実験でした。6人の健康ボランティアに使用され6人全員が、直後から全身の痛みや呼吸困難を訴え、意識がなくなり1時間後には多臓器不全のためICUに入院。全員に人工換気装置がつけられました。3月19日現在、6人中4人は意識が出てきてうち3人は人工呼吸器がはずされましたが、残る3人はなお人口呼吸器が必要な状態であり、うち2人は意識がなく重篤な状態が続いているといいます[3]。

地獄のような苦しみに

プラシーボ(偽薬)が投与されたRaste Khanさん(23歳男性)の話を報道したTimes Onlineの記事によれば、「全員から採血がされたのち、2分毎に注射をしていった。全員の注射が終了して5分くらいしてから、最初に注射を受けた人が震えだしました。彼は上半身裸になったんですが、焼けついているような感じで、しきりに頭をさすっていました。私はなんともなかったのですが、何分かすると、3人目の人にも同じような症状が出始め、何回か嘔吐しました。意識を失い過換気の状態になりました。恐ろしい痛みがきているような感じに見えました。次に4人目も同じような症状が出てきました。何段階か症状が進行した後でショック状態になったんですが、その前に「我慢できない。トイレがしたい。」と言っていました。看護師が用意した吐物入れるために大きな黒いポリ袋に大量に嘔吐しました。全員ショック状態になり意識がなくなりました。私の左にいた男性は背中が痛いといっていました。恐ろしかったです。プラシーボに当ったのは申し訳ないと思っています。まるでロシアンルーレットですよ。私はお金がほしくて試験を受けたのですが、40万円は命の代価とはならないとおもいます。」

被害者の一人Ryan Wilson (21歳)は、あまりの断末魔の苦しみのため、医師に「眠らせてほしい」と懇願したといいます。家族らの話を伝えた情報を総合すると、彼の頭は普段の3倍になり、首も腫れて頭よりも太くなり、皮膚はどす黒い紫色になり、心臓も肺も腎臓もだめになって、死にそうな状態だったそうです[10,11]。

安全確保措置は万全だったというが

速やかに試験中止の措置が取られ、英国の規制当局(医薬品医療器具局:MHRA)は試験実施の承認を取り消したとのことです[2]。実験を実施したPAREXELという請負会社や、その物質を開発したTeGenero社(ドイツ)は、動物で安全であった量の500分の1をヒトに使ったほか、完全に手順を守ったので予測不可能であったといっています。

しかし、「薬のチェック」の分析では、以下に述べるように、毒性情報を無視した可能性もありますし、臨床試験を承認した規制当局の規制の仕方も甘かった可能性もありうると考えています。

健康動物ではリンパ腺が数倍に腫れる:事前にも危険性判明

実験に用いられた物質は、今はやりの「分子標的薬」を目指したものです。標的は、免疫や炎症反応に深くかかわっている、リンパ球の表面のCD28という分子。これに結合する抗体(モノクロナル抗体)です。従来の同種の抗体では、別の刺激がなければリンパ球を活性化させることができないのに、この物質は結合する部位の違いから、それ単独でリンパ球を刺激するのが特徴とされています。そのために、「スーパー作動抗体」(CD28 superagonist)と呼ばれます[4]。

炎症を鎮めるリンパ球を刺激して炎症を鎮める物質を引き出し、難治性リウマチや、慢性の白血病の治療を狙ったものですが、どうやら健康なヒトには、炎症を鎮めるどころか、極端に炎症を起こしてしまう作用があったと考えられるのです。

ヒト用のTG1412の類似物で、動物用に開発されたスーパー作動抗体JJ316の動物実験では、リウマチのモデル動物の炎症は抑えた[15]のに、健康な動物では逆にリンパ節や脾臓が数倍にも腫れあがってしまっていました[16]。また別の同種物質ががん患者に初めめて試された実験でも、半数に強い害反応が生じたとの情報[12]もあります。危険性が事前に本当に分からなかったのか、疑問になるデータが現時点でも相当でてきました。

臨床試験の簡素化・安易な推進に重大な警告

この実験が英国で規制当局の承認を受けたこと自体、問い直しが必要かもしれません。実際、国の承認どおりに実施されたうえでの事故なら、現在の実施基準の見直しが必要でしょう。これまでの薬剤の主流は化学物質でしたが、現在は生物学的物質にその主流が移行しつつあります。動物実験からヒトでの安全を推測する手順がこれまでどおりでよいのか徹底的な見直しが必要です。また、現在の状況でも常識的に踏むべき手順が踏まれているかどうかも徹底的な精査が必要でしょう。

日本では、研究対象者の保護に関する法的制度が確立されないまま、第I相試験を含む治験など臨床研究の手続きの簡素化が急がれています[17-19]。NPO法人医薬ビジランスセンター(薬のチェック)と医薬品・治療研究会では、人を対象とするすべての研究を公的に管理・監視し、被験者を保護する法的制度の確立を求める意見書を2005年7月に提出[20]、「治験審査委員会に係る医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令の一部を改訂する省令案」に関する意見書(2006年3月)では、安易な治験審査の外部委託を可能とする改訂案を批判しました[21]。

今回の英国での事件は、臨床試験の安易な簡素化・推進に対する厳しい警告です。対岸の火事として見過ごすことなく、日本でも臨床試験の対象となる人の安全を確保するために、きちんと監視していきたいと思います。皆さんも、今後の情報にご注目ください。


市民患者が「ほんまもん」の情報を持つことが真の改革につながる
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